勝川の中心は、どう駅前へ移った?|宿場町から商店街、再開発まで
春日井の歴史を、勝川の駅前から読む
JR勝川駅を北口に出ると、広場の先に商店街が続きます。けれど、昔の勝川で人が集まった場所は、ここから離れた街道沿いでした。
旅人を泊める宿が並んだ町から、電車に乗る人が行き交う駅前へ。そして、マンションやホテルが建つ今の街へ。人がどこを通り、どこで買い物をするかが変わるたびに、勝川の商いも変わってきました。
ガル太勝川の昔の中心って、今の駅前?
おカン駅ができる前から勝川はあったんよ。昔の中心を探すなら、駅より庄内川のほうへ地図を動かしてみて。
昔の宿場と今の駅前は、どこにある?
現在の地図で、旧宿場と駅前を見比べる
目印は、左下の勝川町2丁目にある太清寺(たいせいじ)と、右上のJR中央線・勝川駅です。
地図:国土地理院。地理院地図を別の画面で開く/市の下街道ガイドマップ(PDF)
江戸時代、勝川に集まったのは旅人と荷物
名古屋から庄内川を渡り、多治見方面へ向かう下街道(したかいどう)。江戸時代の勝川は、その道を行く旅人が泊まったり、荷物を次の場所へ運ぶ人や馬を手配したりする宿場町でした。
どれくらい人が来たのでしょう。1821年の宿屋「住吉屋」の帳面には、1年間に790人の宿泊客が記録されています。信州(今の長野県)や美濃(今の岐阜県南部)のほか、関東や東北から来た人もいました。これは勝川全体の数ではなく、一軒の宿の記録です。
宿を営む人がいて、人や馬で荷物を運んで生計を立てる人がいた。旅人の通る道は、そこに住む人たちの仕事場でもありました。
資料:郷土誌かすがい64号「勝川宿」/郷土誌かすがい48号「勝川宿の今昔」
1900年、駅ができる。店が集まるまでには時間がかかった
明治時代になると、勝川には郡役所(いくつかの町や村を受け持つ役所)や警察署なども置かれます。旅の途中で立ち寄るだけでなく、手続きや仕事で周りの村から来る場所でもありました。
1900年(明治33年)、中央線の勝川駅が開業しました。場所は、もとの町の中心から離れた北東側です。1913年には、郡役所も今の勝川町4丁目から旭町へ移りました。
郷土誌によると、駅前に店が増え始めたのは大正時代。駅が開業してから30年以上たった1935年ごろに、商店街の形が整いました。
街道を歩く旅人に宿や食事を出す場所から、電車を使う人や近くに住む人が店を訪れる場所へ。駅が人の通る先を変え、そこで商いを始める人が増えて、勝川の中心も移っていきました。
資料:郷土誌かすがい54号「下街道から国道19号への変遷」/勝川駅前通商店街の歩み(中小企業庁の事例資料)
駅前の建物が変わり、線路の向こうへ行きやすくなった
昭和の終わりから平成にかけて、勝川駅前はもう一度大きく変わります。春日井市は1987年に駅周辺の整備計画をまとめ、北口の3地区で再開発を進めました。1999年にホテルプラザ勝川の建物が完成し、2000年代には商業施設と住宅が入った建物も整いました。
同じころ、道路や土地の区画を整える工事、線路を高い位置に上げる工事も進みます。地上を走っていた電車は駅の南北を分け、踏切には車の列ができていました。高架化したことで、線路の下を通れる場所が増え、駅には南北をつなぐ自由通路ができました。上り・下りとも高架線になったのは2009年、事業が完了したのは2011年です。
区画整理で道路や駅前広場などを整える。
再開発でホテル、住宅、店などが入る建物をつくる。
高架化で踏切をなくし、線路の南北を行き来しやすくする。
資料:春日井市「勝川駅北地区市街地再開発事業」/愛知県「鉄道高架事業の概要」/愛知県・事後評価調書

ガル太北口と南口、今は改札を出てそのまま行けるよね。
おカン線路を上にしたからね。前は踏切で待った道も、今は線路の下を通れる。何気ない近道にも、大きな工事の歴史があるんやね。
新しい駅前に、商店街へ足を運ぶ理由をつくる
駅前に新しい建物ができても、商店街まで歩く人が自然に増えるとは限りません。駅で電車に乗って帰る人と、通りを歩いて店に寄る人とでは、街の使い方が違うからです。
勝川駅前通商店街では、2003年に「勝川弘法市」が始まりました。通りのそばに立つ大きな弘法大師像を街の目印にして、テントの店が並ぶ日をつくったのです。ふだんは通り過ぎる場所でも、店をのぞき、食べ物を選び、誰かと顔を合わせる日になります。

商店主の有志は、出資してまちづくりの会社もつくりました。2023年の公開取材で紹介されたのは、ここで店を開きたい人の計画を先に聞き、それに合わせて建物の改修や建築を考える取り組みです。古い建物を使い直した例には、かつて種や苗を売っていた店を改修し、小さな店が入れる場所にした「TANEYA」もあります。
通りに新しい店が一軒できれば、これまで用事がなかった人にも歩いて来る理由ができます。店を開く人、場所を整える人、そこで買い物をする人。駅の工事が終わった後も、こうした人の選択が、勝川の商店街を変えています。
資料:勝川駅前通商店街振興組合「商店街について」/交流Style・商店主の公開インタビュー(2023年)。弘法市の開催案内は商店街の公式サイトへ
ガル太駅ができた年はわかるけど、商店街には完成の日がないんだね。
おカンこれから店を開く人も、初めて来るお客さんもおる。勝川の続きは、その人たちがつくるんやね。
駅前を歩くと、勝川の違う時代が見える
北口の広場から商店街へ入ると、大きな建物が並ぶ景色から、一軒ずつ店先を見て歩く景色に変わります。地図を少し西へ動かせば、駅ができる前に旅人を迎えた勝川宿のあった場所も見つかります。
昔の勝川で商いを支えたのは、街道を通る人でした。今の駅前には、電車で通う人、近くに住む人、店を目当てに訪ねる人がいます。いつもの駅で降りたとき、誰がどの道を歩き、どこで足を止めるか。そこに、勝川が次にどう変わっていくかを考える手がかりもあります。


